ミッコロさんの本音劇場

私の人生で起きたこと、その時の私の気持ちを本音でぶつけていきます。

ボランティアについて🚑

私がすごいな〜って思う人はボランティア精神がある人です(ˊo̶̶̷ᴗo̶̶̷`) そして、中でも特にすごいな〜って思う人はお金に余裕がないのにボランティアができる人です。お金に余裕がある人が寄付や募金、ボランティアをしたいと思う気持ちは何となく分かりますが、自分も余裕がないのにボランティアできる人は本当にすごいと思います。心の底から尊敬します😌  

 

正直この世の中はどちらかと言うと偽善者の方が多いと思っています。

偽善者とは、自分の気持ちはどうであれ、外面は善い行いをしているように装うような人のことです。

それによって、他人からの評価や評判を上げようとする腹黒さがあります。

あなたの周りにも、いかにも偽善者な振る舞いをしている人はいませんか?

 

本当に善良な人は常に相手のことを考えているので、普段の行動から善良な行動ができます。

とにかく善いことをしたいという清い心の持ち主がいます。 このような人はたとえお金をもらえなくても人の役に立ちたいと感じ、ボランティア活不動に励みます。

 

恐らく人の心が満たされる一番の方法は、無報酬で誰かの幸福を願って働くことでしょう。 このような幸福感を味わえるという点で、ボランティア精神を培っている人は常に生き生きしています。

 

ボランティアは無償の愛であり、見返りを求めるものではありません。また時間がなければボランティア的な活動を行うことは難しいものです。しかし博愛主義者は人への優しさに溢れており、困っている人に対してすぐに助けようとします。ボランティア精神に溢れており、見返りなどを求めずに行動します。自分の大切な時間を割いてでも人のために行動しようとします。

 

人徳のある人は自分よりほかの人が大切なので、真のボランティア精神を持っています。そのため、周りの人が窮地に陥ったときは、自分が犠牲になってでも助けようとします。

 

ボランティア精神は素晴らしいことだと思いますが、普通の人はやはりどこかで損得を考えながら生きている気がします。 損得感情なくボランティアできるなんて人は少ないのではないのかなと思います。ボランティア精神があっても損得はある程度考えてるし、身を削ってまで他人に尽くす人は早々いないとは思います。

また、自分に余裕がないとボランティアは出来ないと思うし、気持ちに余裕がある人のする行為だと思います。

 

ボランティアも根底にあるのは自己満足なのかもしれませんが気持ち良くボランティアしてたらいつか絶対にどこかで返ってくるとは思っています。

 

まずはその人が健康で余裕がある事が前提です。その上で、弱い人や、弱った人や物を見て、「この人は、私だ、昔の私だ」と思うかどうかです。何とかしてあげたいなぁ、助けてあげたいと思うかどうかです。

何に対してそう思うかは人それぞれだけど、動物を見て助けてあげたい人もいるし、同じ病気で苦しむ人や、障害を持つ人とか、自分の辛い体験を通して、時間や空間や年齢性別を越えて理解や共感が生まれる時ってありますよね!

 

本当に相手のために尽くせる人や自分のことより相手のこと大事にできる人っていますよね。

本当に尊敬しちゃいます。

私は自分や自分の家族を犠牲にしてまでボランティアができるかと問われたらきっと出来ないかもしれない🙄  

でも、困った時はお互い様だと思うし困ってる人を見て見ぬふりはできないので少しでも自分が役にたつなら手を差し伸べたいと思います。

 

20代の頃に地元が洪水の災害にあった時に看護学生だった私は学校の授業だということで1度だけボランティアに行ったことがあります。ヘルメットとスコップを渡され、床下浸水した家の泥をスコップですくい布の袋の中に入れるという内容でした。ものすごく大変でほとんど休憩はなく終わった頃にはくたくたで腰は痛いし、筋肉痛になるし🙈 それでペットボトルのお水1本頂いて(・▽・)・・・ 当時はえっこれだけ?って正直思ってしまいました。きっと損得、自分のことしか考えていなかったんでしょうね😭

あれから約20年🙄 当時はボランティアはありえないと思っていたけれど、色々な経験をして最近ボランティア精神が芽生えてきたのは年齢のせいなんでしょうか🙄 経験値かな〜🙄 

人はたくさん涙を流した分、苦しんだ分だけ他人に優しくなれると思います。そして自分も強くなると思います。同じ経験をした人にしか分からないこともたくさんあると思います。人は1人では生きていけません。

 

相手を思いやる気持ちって大切ですよね😌